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悪文もまた文なり (「日本人なら必ず誤訳する英文」続き) [辞書・学習参考書]

前回取り上げた「日本人なら必ず誤訳する英文」をめぐって、さらに雑多なことをいくつか考えたので書いておきたい。

まず、この本で面白いと思ったのは、著者自身が悪文、あるいはうまくないとしている英文が問題として取り上げられていることだ。

高校生の頃は、参考書や予備校の問題でわかりにくい英文をずいぶん読まされたが、出題者が「良くない文だ」と断っている例は見た記憶がない。まして受験勉強を離れた一般向けの英語の本では、拙い文を取り上げること自体まれではないかと思う。

一般的に、学習者が手本にせよといわれるのは、わかりやすい文であったり、名文であったりするはずだ。これ自体は至極もっともなアドバイスだが、教材の手本を離れた実生活では、規範になりえないような文に出くわすことは当然ありうる。

日本人だからといって皆が明快な文を綴れるわけではないのと同じだが、こうした当り前のことも、ネイティブの英語、というだけで思考停止状態になりかねない。

仕事でよく英語を使っていた時に経験したことだが、ネイティブであっても、時間のない中で書いたような文には意味がよくわからないものがあるものだ(余談だが、古くはタイプライター、今はパソコンが当たり前のせいか、ネイティブの手書きの文字はどうしてああも悪筆が多いのか)。

一方、公の場に出す英文ならよく推敲されているはずだが、それでも一般大衆向けではない文章だと、分野によっては複雑で難解な構文が出てくることがあるだろう。それを悪文と呼ぶかどうかは別として、仕事や趣味でそうした英語に接する可能性がある人は、やはりそれに対処できる力をつけておくに如くはない。

特にアウトプットを意識した「実用英語」の学習では、「やさしい」「わかりやすい」が流行りのようだが、そればかりだと、いったん「やさしくない」相手が出てきたら、立ち往生しかねない。

2点目である。この本には、著者が翻訳家になるまでの学習歴についてインタビューが掲載されていて、これがなかなか面白い。この中で、著者が学んだ予備校講師の言葉が紹介されている。

それは、「大人の英文を読めるようになるには大量の英語を読まなければならないが、それは大学生や社会人になってやるべきことで、受験生には必要ない。受験生用テキストの勉強で下地をつくだけで十分だ」というものだ。

私は以前書いたように、中学生の頃から理解できないながらも英語のペーパーバックを眺めていたせいか、この言葉にはちょっとひっかかる。個人的には、「受験生用のテキスト」しか与えられなかったら、多分私は英語嫌いになっていたことだろう。

また一般論としても、こうした学習だけでは、長い文章を読み通すだけのスタミナがなかなかつかないのではないかと思う。私なら高校生には、余裕があれば自分の興味がある分野についてのやさしい英文を読むことを奨めたいところだ。

ただこれはもちろん、どこまで英語に取り組むかという個人の興味があるし、著者も、テキスト以外の英語に手を出すな、と言いたいわけではなかろう。下地、つまり基礎をないがしろにして、いくらペーパーバックの類を多読しても意味がありませんよ、ということだと考えたい。

3点目だが、著者は出題した英文について、「できれば熟考して自分なりの訳文を作って」ほしいと書いている。しかし私は、通勤電車の中でこの本を読んだので訳文を書くことはせず、意味を考えた後で著者の訳例と説明を読んで、自分の理解が間違っていないか確かめた。

この点で、著者から見れば私は良き利用者とはいえないだろう。先のインタビューの中で著者は、

結局、英語を正しく理解しているか否かを知るには、訳してみる以外には方法はないんです。「英語を英語のまま理解する」とよく言われますよね。それは最終目標としては正しいんだけど、少なくとも日本語を母語として育った人間について言えば、おそらく正しく訳せないものはぜったいに理解できていないと思います。

と述べている。

著者のいう「訳」が、整った訳文を実際に作ることなのか、あるいは整った形でなくても意味をしっかりと説明できることなのかはっきりしないが、前者のことだとしたら、私は後者であっても差し支えはないのではないかと思っている。

だがしかし、と考え直しもした。仮に自分の理解自体に間違いはなくても、日本語で表現した時にそれが正しく他人に伝わらないということはありうる。結果で判断されるプロならば、それだけで「負け」である。著者の言葉は、そうしたプロだからこそ出たものであろう。

そして私が、プロなら当たり前のそうした厳しさに欠けていることも確かである。英語で飯を食っているわけではないから、という逃げ道がある自分は、アマの甘さからどうも逃れられないようだ。

参考記事:
「老人と海」で学んだ英語

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 (ディスカヴァー携書)

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 (ディスカヴァー携書)

  • 作者: 越前 敏弥
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2009/02/18
  • メディア: 新書


タグ:英語学習
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コメント 6

たんご屋

こんにちは。おもしろそうな本ですね。そのうち読んでみます。
技術文書では、it's と its とか complementary と complimentary が混同されているくらいのことは非常に頻繁に見られます。文法的に間違いなんじゃないの、と思うこともたまにありますが、本当に間違いなのか、自分の英語力が足らないからそう思うのかはよくわかりません(笑)。
でも、もっとひどいと思うのは日本人技術者の日本語です。自分もそういう現場にいたことがあるのでよく知っていますが、呼応ができていないとかいうレベルではなく、主語がない、述部がない、なんてことさえあります。

「正しく訳せないものはぜったいに理解できていない」というのは、そのとおりだと思います。わたしのレベルの翻訳の経験でいうのもなんですが、翻訳のあとで見直しのために訳文だけを読んだときに何か変な日本語だなと感じる部分は、実は原文の意味を正しく理解できていなかったということが多いです。
by たんご屋 (2009-04-04 10:58) 

Hirosuke

nice!ボタンが欲しいです。
瞬間的に、長い文が書けないんです。

「良い」と思うものには、読んだ痕跡を残したいんです。
検討して頂けませんか。
by Hirosuke (2009-04-04 17:15) 

子守男

確かに「正しく理解できていないから日本語の訳がおかしい」ことは多々あるでしょうが、それをひっくり返した「正しく訳せていないから理解できていない」ということも必ず成り立つのでしょうか。「正しく理解していても、日本語の表現力に難があるのでそれが伝わらない」こともありうるのではないか、と思いますが。もちろん、プロには許されないことでしょうけど。

by 子守男 (2009-04-06 00:19) 

子守男

So-netは前に使っていたブログよりも使いやすいのですが、「nice!」と「タグクラウド」はちょっと表示がうるさいな、という印象を持っています。後者は機能的に非常に便利なので使っていますが、前者はあまり必要性も感じていないので出していません。しかしHirosuke さんからせっかくのお言葉をいただいたので、考えてみようと思います。
by 子守男 (2009-04-06 00:27) 

たんご屋

もちろん単なる表記の間違いなどは本当は理解できていないという証拠にはなりませんが、注意深く一生懸命に訳してもうまく訳せないのであれば、それは原文を正しく理解できていないのでしょうね。
翻訳にかぎらず、たとえば日本語の本でも何かの本を読んでなんとなくわかった気になっても、その内容を自分のことばできちんと説明できないようなら正しく理解していないのだろうと思います。
必ずしも正しく理解しなければまるでダメというわけではありませんが。
by たんご屋 (2009-04-06 09:14) 

子守男

>その内容を自分のことばできちんと説明できないようなら正しく理解していないのだろうと思います。

という点では私も同じ考えなのは、エントリ本文に書いた通りです。そうした説明を「訳」と呼ぶかどうかという定義の問題なのでしょうね。

例えば高度な技法を駆使して書かれた英詩を読んだとします。専門家の解説も頼りにしてその構造・内容・背景などを自分なりに理解し、感動し、他人に曲りなりに説明もできる。しかし、そうした説明ではなく、日本語の詩としてもまともに味わえるような訳をつけてくれ、といわれたら私は困るでしょう。それは英文の理解とは別のセンスや能力が必要だからです。そうした場合は、「原文を正しく理解できて」いても「一生懸命に訳してもうまく訳せない」といえるのではないかと思いますが。
by 子守男 (2009-04-07 09:38) 

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