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同時通訳の草分け 國弘正雄先生逝く [英語学習]

國弘正雄先生がお亡くなりになった。高齢に達していらしたので、いつかこの日が来ることは避けられないとわかってはいたが、私は若いころ何度か直接お話しをうかがったことがあり、何かぽっかりと穴があいたような気持ちになった。

国弘正雄氏が死去 元参院議員、同時通訳者
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H7C_V21C14A1CZ8000/

第一線を退かれて久しく、最近は「”音読”の関連で名前を聞いたことがある」というくらいの英語学習者が増えているかもしれないが、私と同じくらい、およびその上の世代では、「同時通訳の神様」として名を馳せ、「国際派文化人」でもあった國弘先生の姿を見て、「自分も先生を目指したい」と私淑していた人も多いのではないだろうか。

戦時中から、3~4ケタの回数にのぼる徹底した音読(のちに「只管朗読」と名づけられた方法論)によって英語を身につけ、文化人類学を修めたのちに通訳者になった。そしてテレビ英語講座の講師や大学の教官、また三木武夫元総理の秘書官や外務省参与、ニュースキャスター、さらには参議院議員として、外交や国際交流、教育など幅広い分野で活躍された。

私が國弘先生を知ったのは中学2年生の時だった。たまたま教育テレビをつけたら目に飛び込んできたのが「NHK英語会話中級」の「トークショー」、國弘先生が多彩な外国人ゲストにインタビューをする講座だった。

英語を学び始めて間もない私がその時のインタビューを理解できるはずもなかったが、先生の話す英語と内容がとてつもなく高度だということはなぜか感じ取ることができた。

発音は歯切れがいいが、明らかに英語圏育ちではない。それだけにかえって、「こんなに凄い人がいるんだ」「他の英語講座の先生とはまったくタイプが違うな」と感じ、わからないのに番組の最後まで目が離せなかった。

それからというもの、いつかは「トークショー」で学ぶぞ、と思いながら、時おりテレビの中の國弘先生を眺めて英語学習への励みにしていた。高校生になったのを機に本格的に視聴しようと思ったら、NHKの語学講座がその年に改編されて、番組ともども國弘先生が降板となったのはショックだった。

その後先生は、「百万人の英語」という、これも今はなき民放のラジオ講座でリーディングを担当するようになった。日本や国際問題についての、知的好奇心を刺激される内容の英文が教材だった。本当の意味で「読む」ということは、語学力だけではダメで、理解力と類推力、常識や教養も問われ、実は「話す」ことよりも難しい。そんなことも学んだ。

大学生になると、先生の講演会に何回か足を運ぶようになり、終了後に質問をしたり、引き続き街中の店で開かれたお茶会や食事会に、主催者や「常連」の人たちに混じって参加したりして、ご本人と言葉を交わす機会を持つという、忘れ難い経験をすることができた。

画面でのイメージから「穏やかで学者風」という先入観を持っていたが、実際の先生はまったく逆だった。身振り手振り、声が大きく、身体からエネルギーがほとばしり、英語学習から国内政治、世界情勢まで、話したいことが次々と出てくるという感じで驚いた。

英語や異文化間コミュニケーションの分野で活躍しながらも、先生をつき動かす根底にあったのは、空襲で身近な人たちの命が奪われるさまを目のあたりにしたという戦争体験と、それに基づく反戦の姿勢にあることは明らかだった。参議院議員として政治に足を踏み入れたのも、そうした平和への思いと、現状へのやむにやまれぬ危機意識によるものだったのだろう。

ただ私としては、先生には良い意味での文化人、教育者であり続けて欲しかったと今でも思っている。いくら純粋な志を抱いていても、それだけではドロドロした政治の世界ではやっていけないだろうことは容易に想像がつく。

もっと先生にふさわしい、政治以外の分野でその理念とエネルギーを活かし、後進を育て続けていただきたかった。そして英語についても後世に伝えられるようなまとまった研究を世に問うて欲しかった。政治に関わったことで、その機会と貴重な時間が奪われたことが残念でならない。

國弘先生の英語については、私ごときにコメントできる資格はない。発音こそ、もっとネイティブのような人はいくらでもいたが(いや、正確かつ明確な先生の発音は、むしろ日本人学習者の良きモデルというべきだろう)、ネイティブも驚くほどの格調の高い英語を駆使し(先生の英語に接したアメリカ人が「自分でもこんな単語表現は使えない」と言ったのを実際に耳にしたことがある)、いわゆる「英会話」とはまったく次元が違っていた。

NHKの「トークショー」はちゃんと見ることはできなかった私だが、大学生になった頃には、テレビではなく公開の場での対談形式で「トークショー」が一時的に復活し、英語学習雑誌にも先生による大物インタビューが掲載されることがあった。雑誌の別売カセットは当時の私には高価だったが、倹約して買い求め、繰り返し聞いたのも良い思い出だ。

また、先生は新聞雑誌などで使われていた英文を元に現代アメリカ社会や英語を解き明かすという書物や連載を多数著していて、何度も読み返した。

そうして身につけようとした「クニヒロ英語」は、忘れてしまったものもあるが、一方で今でも口をついて出てくる表現がある。

中学生の時、たまたま見たテレビで國弘先生の姿に触れなかったら、私の英語に対する興味もまったく違うものになっていただろう。

今はナマの英語素材がいくらでも手に入るようになり、「英語会話中級トークショー」のような番組はとうに使命を終えた。しかしそれとともに、(実際にはとうてい手が届かないとしても)目標として仰ぎ見る role model を学習者に提供する場もなくなってしまったのではないだろうか。

そして國弘先生は、「ことば」と「こと」と「こころ」の三拍子を揃えることが大切だとして、英語を使って何をするのか、何を伝えたいのか、ということを常に学習者に問いかけていた。ご自身がそれを実践していたからこそ、私淑する人も多かったのだろう。先生のような、そうした「英語という枠にとらわれない英語の達人」が、今はむしろ以前より見出しにくくなっているのではないか、とも思う。

その意味で、ナマの英語素材こそ手に入りにくかったとしても、國弘先生が活躍していた時代に英語を学び、直接間接に教えを乞うことができたのは、むしろ幸運だったのかもしれない。

つい、中高年の「昔はよかった」式の回顧談になってしまった。

國弘正雄先生のご冥福を心よりお祈りいたします。


國弘流英語の話しかた

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  • 作者: 國弘 正雄
  • 出版社/メーカー: たちばな出版
  • 発売日: 1999/12/25
  • メディア: 単行本


烈士暮年に、壯心已まず―國弘正雄の軌跡

烈士暮年に、壯心已まず―國弘正雄の軌跡

  • 作者: 國弘 正雄
  • 出版社/メーカー: たちばな出版
  • 発売日: 2008/11
  • メディア: 単行本


通訳者と戦後日米外交

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  • 作者: 鳥飼 玖美子
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2007/08/11
  • メディア: 単行本



過去の記事より:
「私も英語が話せなかった」~通訳者の村松増美氏 逝く

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friendlyundertaker

はじめて投稿させていただきます。

國弘先生の訃報に接し、「國弘正雄」でググっておりましたおりに、貴ブログを拝見するに至りました。

一言でいえば本当に寂しいです。私は大学時代に、NHK教育テレビのTalk Topicsでおおいに学習をさせていただきました。そして「クニヒロ英語」に非常に影響を受けた英語学生の一人です。

私のような一英語学生が言うのはずいぶんと失礼なことかもしれないのですが、國弘先生の英語は抜群だったと思います。発音がどうだとか、流暢さがどうだとか、そうしたことではなくて、とにかく高品質な英語を使われていた気がしています。学習者にしてみれば、安心して吸収することができたと思っています。

私事で恐縮ですが、あれから数十年。ほとんど英語からは遠ざかっていたのですが、最近また勉強を始めています。おそらくは昭和の典型的サラリーマンを実践し、そしてようやくその出口が見えてきた昨今、いままた英語学生が始められると考えているところです。

そんなおりに、今週の火曜日の夜、先生のご逝去を知りました。
こころからご冥福をお祈り申し上げます。





by friendlyundertaker (2014-11-27 23:39) 

tempus fugit

friendlyundertakerさん、コメントありがとうございました。
私も本当に寂しいです。

本文では「英語会話中級」「トークショー」とまとめて書きましたが、最後の年は「英語会話Step3」の"Talk Topics"と改題されたのですよね。それがそのまま続くと思っていただけに、新年度から國弘先生の講座がなくなると知った時はがっかりし、高校合格・入学への喜びに水をさされたのをよく覚えています。

生前の國弘先生の姿を思い浮かべつつ、引き続き精進していきたいと思っています。


by tempus fugit (2014-11-29 12:22) 

名無し

先週末海外出張から帰国し先生の訃報に接し悲しさの余り途方に暮れています。
この場をお借りし一言お悔やみ申し上げます。
20年近くお目に掛れず、最近は元気を無くされたご様子を風の便りに聞きいつかこの日が訪れることを恐れていました。
語るまでもない功績に加え、このような志の高い師に回り逢えたことは私の人生の宝であります。
先生の一番印象的な言葉は「所詮、人間は何も解っちゃいないのよ」でした。一番解ってそうな師よりのこの言葉に、人間の侘しさを覚えました。
最後にお会いした恩師の法要の際、私に戴いた言葉です。
「今亡き人を想う。そして故人にも思われる」
今正にその心境であります。
合掌


by 名無し (2014-12-02 13:40) 

むね

初めまして。

先週の國弘先生の訃報と、メディアでの扱われ方の小ささにそれぞれ思いを深くした者です。

その後どなたかコメントされていないだろうかと探してみて、こちらを見つけました。

書いておられること、全く同感です。

私は現在51歳で、若いころ「百万人の英語」の講座を毎回聞き、手紙を出したところ返事をもらい大変にびっくりした経験があります。

当時は日テレのニュースキャスターという活躍と、上智大の講師とで忙しいはずが、このように一ファンに対して返事を下さることがあまりにも身に余ることで、本当に嬉しかったです。

それがきっかけで、実は私も、ほんの少しですがお近づきになれ、先生が定宿にされていたのか山の上ホテルのレストランで食事をご馳走になったことがありました。

その時何を話したのかは全然覚えていないのですが…

あの頃ライシャワーの「ザ・ジャパニーズ」はベストセラーでしたし、その翻訳をされていた先生の、素晴らしいお仕事を思うと、その後政治の場に出て行かれて以降の影の薄さを本当に残念に思っていました。

そうしたことも含め、先生のことを丁寧に書かれていたあなたの文章を読ませて頂き、わたしの思いをすべて代弁して頂けたような気持ちになりました。

あの頃の先生の残された業績を思えば、現在どうしてこんなに小さく扱われるのか、時代が変わったからとだけでは説明がつかないような気もします。

後年の先生のお仕事がメディアを通して伝わってこなかったのも、どこかに理由があったのではないかと思っています。

本当に残念です。

芦花公園駅のそばに住んでおられたのにもびっくりしました。

世田谷文学館へたまに行っていたので、すぐそばを通っていたのだなと思うと、不思議な縁だったなあと思います。

この先もずっと忘れずにいたい人物ですね。


by むね (2014-12-03 11:06) 

tempus fugit

「今亡き人を想う。そして故人にも思われる。」
この言葉をかみしめたいと思います。
コメントありがとうございました。

by tempus fugit (2014-12-06 23:37) 

tempus fugit

私もむね様とほぼ同世代ですね。やはり私も「山の上ホテル」で(何人かのグループででしたが)ご馳走になったことがあり、内容は覚えていませんがよく語りよく食べておられた先生の姿が脳裏に浮かびます。

また、先生に何かのお礼のハガキを書いたら、返信があって驚いたという経験があるのも同じです(実家のどこかにそのハガキがあるはずです)。

政治の世界に入られたことは個人的にはかえすがえすも残念ですが、先生は先生としての理想と志を抱いて居られたのだ、と考えるようにしています。

今はただ、ご冥福をお祈りすることしかできません。

by tempus fugit (2014-12-06 23:48) 

だじゃれ

初めて、お邪魔します。

國広先生が亡くなられたことは大変ショックで残念でした。

私は、大学時代に「英会話中級」「トークショー」を視聴していました。正に切れば血の出るような英語で、当時はビデオがありませんでしたので、音声だけをカセットに聞いて繰り返し聴いていました。
「英語の話し方」を始め、國広先生の英語関係の著作はほとんど読みました。今もほとんど残っています。また読み返してみようかなと思っています。只管朗読・只管筆写は今でも最強の英語学習法の一つだと思います。私の英語力のバックボーンは國広英語です。

先生は英語教育者ではありませんでしたが、日本の英語界に残した足跡は間違いなく、とてつもなく大きなものがあると思います。

ご冥福をお祈りしたいと思います。
by だじゃれ (2014-12-08 13:37) 

tempus fugit

だじゃれ様、國弘先生の講座をリアルタイムで視聴されていたとのこと、羨ましい限りです。私が読んだ先生の著書は引っ越しや転勤を繰り返すうちにほとんどが行方不明になってしまいました。どこかの出版社が復刊してくれないものか、と思っています。

先生の足跡、功績は本当に大きいものがあると思います。まさに「巨星墜つ」です。

by tempus fugit (2014-12-08 23:57) 

英語学習者

はじめまして。
トラックバックをはっていただいたようでありがとうございます。
國広氏への敬意を共有できる方々のおことばを読むことができ、ありがたく思います。
また他の記事も拝見させていただき、知識や刺激をいただきたいと思っています。
by 英語学習者 (2014-12-11 23:10) 

tempus fugit

英語学習者さま、コメントありがとうございました。
國弘先生について書かれた方が他にもいるだろうとネットを見ましたが、なぜかそれほど多くないようなのが残念です。ちょっと寂しい思いをしております。
by tempus fugit (2014-12-12 23:57) 

Bon Voyage!

國弘先生のご冥福をお祈り致します。初めて先生にお会いしたのは1987年3月のことでしたから、もう27年前になります。当時私は高校一年。「百万人の英語」のファンレターを書いたところ、先生から葉書を戴き驚きました。その後私の地元(四国)で講演するので会わないかとお誘い戴き、恐る恐る会いに伺いました。でも先生は大変気さくに接して下さり感謝しています。最後にお会いしたのは2008年5月。国際文化会館で数時間話し込みました。その際『ザ・ジャパニーズ』や『英会話 ぜったい音読 挑戦編』にサインを戴きました。前者の日本語訳が素晴らしい旨の話になったとき、「あの頃は司馬遼太郎さんの日本語を目指して訳出していたんだ。」と当時のエピソードを披露して下さいました。夜遅くなってきた為、当日はお開きになり、又いつかお会いしましょうとの話になりました。その後私は海外駐在になり、お会いする機会が有りませんでした。最近も年賀状を戴いていたので、お元気にされているものと思っていただけにショックです。私のような地方出身の一学生にも気軽に接して下さり、海外に目を向けるよう刺激を与えて下さった國弘先生。本当の英雄とは國弘先生のような御方のことを言うのだと思います。合掌。
by Bon Voyage! (2014-12-14 23:51) 

tempus fugit

Bon Voyage! 様は最近まで國弘先生と交流を持たれていたのですね。うらやましい限りです。「ザ・ジャパニーズ」は確か「百万人の英語」で原文が取り上げられたと記憶しています。私も翻訳と原書の両方を買って比べて読んだことを覚えています。

おっしゃるように、天駆けるような活躍をしながら、それまでまったく接点がなかったごく普通の人にも気軽に接するという、稀有な方だったと思います。そうした大きな存在を失って寂しい限りです。
by tempus fugit (2014-12-16 23:10) 

ル・シッド

国弘正雄先生の訃報を先日知った。わたしが大学で出会った教官(当時、先生は講師であった)で、最も印象に残った先生の一人である。その強烈な個性、驚異的な英語力、圧倒的な知識、今でも当時の面影は鮮烈に記憶に残っている。またその講義は実に個性的であり深く印象に残るものであった。先生が、当時30代後半の活躍盛りであったときに出会えたことは何と幸いなことであったろう。講義にしても学生と距離を置かずそこに自らも参画して学びの場を共に築くという類のものでいやがうえにも熱気がみなぎった。気さくで講義の後、私たち学生を連れだってホテルで食事を共にしながら論議に花を咲かせた。多くの学生に慕われたのは事実である。

しかしここで先生の謦咳にまじかで接した一人として述べなけらならない別の側面がある。このように多くの実績を残して亡くなられた方には多くの賛辞と愛惜の念が寄せられるものであるが、排斥されるべき負の面が語られることはあまり多くない。わたしはこれを必ずしもマイナスとは捉えたくないが。

国弘先生は確かに多くの賞賛されるべき側面を持つが、その一方で極めて自尊心が強く、滑稽なほどの名誉欲も併せ持っておられた。例えばある重大な国際的事件が起きたとき、「有識者として意見を求められた」とか、天下の朝日新聞の名コラムに自分が引用されたと学生たちに披瀝なさるなど他にも多々ある。またわたしが質問した際に英語には他にこういう表現の仕方もありますよと指摘すると先生は激怒され「君に英語を教さわることなぞない」と言い放つなど、謙虚さにやや欠けておられるところがある。また当時NHK教育テレビで担当されていた「英会話中級」の番組のテキストの内容が難しいとたくさんの投稿が寄せられていることに関して「(易しく書き換えるのは)沽券にかかわる」と言い放たれた。当時、先生は三木元首相の外務参与をされていて、外国の要人と懇談できたと自慢げに語られた。さらにご自分の話し言葉は漢語を多く交えた格調あるものだとも仰せられていた。

そのほかにもここでは述べにくい言動も多々あるが省略する。わたしはこれらの先生の姿勢に距離を置くものであるが、そうではない、と言われたい方もあることだろう。

ゲーテはその格言で「われわれはみずからを永遠にするためにこそ、存在している。」と述べたが、国弘先生はまさにそれを地でいった生涯だった。さればこそ先生の死去を伝えるメディアの扱いがあまり大きくなかったのは天に帰られた先生にとって極めて不本意なものであったろう。
by ル・シッド (2014-12-25 19:30) 

tempus fugit

ル・シッド様、本文に書いたように、実際に触れた先生はテレビでの印象と随分違うな、と思いましたし、強烈な個性、自負と自信を感じました。しかし、それを納得させてしまうだけの実力を持ち、活躍をされていたということになるでしょう(口だけ態度だけという逆の人たちは随分いますけど)。私の知らない先生の顔もいろいろあることでしょうが、「排斥されるべき負の面」ととらえるかどうかは、その人その人が、先生に何を求めるかにもあわせて判断すればいいことだと思いますね。
by tempus fugit (2014-12-26 22:01) 

トースト

海外在住(英国)ということもあり、国弘先生が他界されたことを知りませんでした。本当に残念です。大学時代、英語部のキャプテンをやっていたころ、TALK SHOWを教材として使用していました。今でも手元には当時のテキスト数冊と番組を録音したテープが何本か、残っています。「英語の話し方」(初版)以来、先生の著作はほとんど全て読ませていただき、私の本棚にはそれらの本が並んでいます。先生や米大使館にいらっしゃった西山千さんなどの影響も有り、当時、同時通訳の訓練なども受け、又、先生が実際に通訳されている場にも何度か、足を運びましたが、一見、華やかに見える同時通訳よりも、いわゆる逐次通訳の方が高度な技量を要することを実感し、その部分での先生のすごさを感じ取ったものです。ハワイ大学で一時期を過ごしたのも先生の影響でした。ご自宅は芦花公園の駅前で、隣町に住んでいた私は何度も先生と電車でご一緒したもので、全てが懐かしい思い出です。著作、講演、講義、テレビ番組等を通して得た学恩に深く感謝すると共に、先生のご冥福を心からお祈りします。
by トースト (2015-01-01 02:23) 

tempus fugit

トースト様、コメントありがとうございました。國弘先生の影響力の大きさにあらためて感じ入りました。
Talk Show を初めとする先生のインタビュー番組等の録音を持っておられる方はかなりいらっしゃると思いますでの、それをウェブ上で聞けるようにしていただけたらなあ、と願っています。

by tempus fugit (2015-01-01 21:59) 

トースト

tempus fugit様
著作権の問題が発生しないのであれば、当時のNHK中級及びSTEP IIIのテキスト(TALK SHOW全文に国弘先生が注釈を加えたもの)とテープ録音を、例えば、志の高い大学生のためにウェッブ上で、という気持ちもあります。そうすれば、英語(あるいは他の言語)を学ぶとは本当はどういう事なのか、を肌で感じてもらえるのでは、と思っています。内容的にも宗教の問題から政治、科学、文学等、本当に幅が広く、国際派を目指す大学生や若い社会人には最高の教材で、国弘さんがおっしゃっていた学習上の「三位一体」の意味するところを体感できるでしょう。国弘先生も悩まれたことがある著作権の壁はなかなか、やっかいです。ご存知だと思いますが、先生御自身がTALK SHOWの一部を和訳されたものを出版されたことがありますが、原文テキストは付いていません。ちなみに、NHKにもビデオは残っていないと、その本に記されています。
国弘さんや村松増美さんなどが関係され、多くの良書を生み出したサイマル出版会が姿を消したのも残念なことです。
by トースト (2015-01-02 03:27) 

tempus fugit

トースト様、Talk Showの一部は英文と音声が大学生用の英語テキストとして桐原書店という出版社からされたこともあるので(もちろん今は絶版です)、必ずしも不可能というわけではないと思うのですが、著作権についてはクリアしなくてはならない問題がいろいろとあるのでしょうね。こうした点にも明るい人や教育界の専門家の方々が集まって、國弘先生の業績とrole model としての姿を後世に伝えるためのプロジェクトを立ち上げていただけないものか、と勝手な願望も持っています。

by tempus fugit (2015-01-02 10:50) 

Ryoichi Chida

Hi, Tempus Fugit.
I studied Mr. Kunihiro's TV programs and tied to learn English from them when I was a university student.
Several years later I saw him at the Haneda airport. I talked with him on board the plane all the way down to Tottori where I had some business with Tottori Sanyo and Mr. Kunihiro had a politial meeting there.
I still remember vividly that he laughed loudly when I mimiced the way he had spoken in his TV program, with the Chinese-esque expressions like "本件につきましても、多少な(「の」ではない!)意見の開陳を見ましたが、詳しくはテキストにお付き下さい”.
I'm doing business with overseas customers and suppliers now. I'm also supporting an American writer who does reseach on Japanese cultue. Besides, I'm writing a monthly essay of mine for my friend interpreters & translators across Japan. I've been doing these volunteer activities for a few years.
All the best to you!
Ryo
by Ryoichi Chida (2015-03-01 12:26) 

tempus fugit

Ryoさん, thank you very much for letting me in on the heartwarming moments you had with Prof. Kunihiro, which remind me of my own memory of him.
I recall with the vividness of yesterday his enthusiastic lectures which covered a wide range of subjects, from the acquisition of English skills to analysis of world affairs. All of them were interesting and informative, and still keep inspiring me.
May he rest in peace.
by tempus fugit (2015-03-03 07:44) 

friendlyundertaker

本日、東京・四ツ谷の日米会話学院で行われた「國弘正雄先生を偲ぶ勉強会(3回目)」に参加してまいりました。いくぶんのノスタルジアが手伝ってのことではあります。

私にとっては、先生はやはり「通訳者」とされてのイメージが強いのですが、それでいて生前に実際に「通訳」をされているのを聴いたことが実は一度もありませんでした。この勉強会に参加して、先生の「(英和)通訳」をはじめてお聴きしました。

お聴きしてみますと、他の方の「通訳」をしているというよりも、むしろご自分のことばとして、ご自身がスピーチをされているかのような、そんな印象を私は受けました。その日本語は歯切れがよく、明快なものでした。

「通訳」の世界というのはまったくわかりませんが、おそらくは先生のような方こそが一流の「通訳者」なのだろうと感じたことでした。勉強会の講師の方が、國弘先生のような「通訳者」はもう今後あらわれることはないだろうとおっしゃっていたのが印象的で、かつ寂しく感ぜられたことでした。

by friendlyundertaker (2015-03-08 19:00) 

tempus fugit

コメントありがとうございました。そうした勉強会があったのですね。私も國弘先生の正式な形の通訳に触れたことはありませんが、具体的にどのような機会だったかは忘れたものの、外国人が英語で行った話の要旨を、聴衆のために直後に日本語で話されたのを聞いたことがあります。

広い意味の逐次通訳といえると思いますが、メモを取っていた様子もないのに、ポイントをよどみなく簡潔明快にまとめているのを聞いて度肝を抜かれたのを覚えています。その記憶力と表現力に、先生の頭の中はどうなっているのだろうと思ってしまいました。

元の話者を超えてしまっているような迫力もあり、その意味でも、先生のような通訳者が今後現れることはないのかもしれませんね。

by tempus fugit (2015-03-10 01:02) 

國弘正雄を偲ぶ会呼びかけ人

先生の名前で検索しましたら上位にありましたので、投稿させていただきます。

國弘が死去した施設にたまたま共同通信社の記者がいたため、遺族の密葬後に「偲ぶ会」とあわせて発表するという予定が壊され、即日、訃報として配信されてしまいましたが、ようやく「偲ぶ会」について案内が行われております。

おそらく、生前、先生と親しかった方には事務所の名簿や知己のネットワークより、お聞き及びのことと存じますが、訃報と異なりニュース性がないため配信は大きく扱われておらず、また、私自身、ネットに不慣れで、ツイッターなども行っておりませんので、この場を借りて、ご案内させていただきます。
もしよろしければ、ご覧になった方で、ブログなどで掲載し拡散ができる方は、よろしくお願いいたします。

「國弘正雄先生を偲ぶ会」は、
2015年4月7日午後1時より、先生も設立に尽力された国際文化会館(港区六本木)にて開催されます。
会費制1000円で、そのほか供花など一切を遠慮させていただきます。
生前の先生の面影や思い出を持ち寄りながら、思い出話をする「國弘学級同窓会」ができればと考えております。
先生と少しでも親交があった方、あるいは先生との文通をされた方、どのような方でも、お気軽にお越しください。特に事前の連絡は不要です。

なお、偲ぶ会の連絡先は、先生の著書巻末に記載の自宅所在地におられる喪主でもある國弘正彦さんとなります。

平日ですので、どれほどの方がいらっしゃるかわかりませんが、転載、拡散などいただければ幸いです。






by 國弘正雄を偲ぶ会呼びかけ人 (2015-03-18 20:01) 

tempus fugit

「偲ぶ会」の呼びかけをされている方からコメント(ご連絡)をいただき光栄です。私個人は平日とあって残念ながら参加は難しいと思いますが、これを掲載させていただくことで、いくばくかのお役に立てればうれしいです。

後日、「偲ぶ会」の様子や、その後の動きがありましたら、教えていただけましたらうれしいです。どうぞよろしくお願いいたします。

by tempus fugit (2015-03-18 22:13) 

friendlyundertaker

三度お邪魔いたします。

本日、仕事を休み、国際文化会館で行われた國弘正雄先生を偲ぶ会に参加いたしました。

平日にもかかわらず、かなりの人出でした。開会時、200名は優に超える人数ではなかったかと思います。全体的にはやはり年配の男性がほとんどでした。

著名な方も多くいらっしゃいました。河野洋平氏、明石康氏、田中康夫氏、秋葉忠利氏などです。また國弘先生とご同業の小松達也氏もいらっしゃいました。

本日の会は「手作り」感のある「アットホーム」な感じのもので、私は個人的な知り合いは一人もいなかったのですが、大変に心地よい時間を過ごすことができました。

いろいろな方が、國弘先生にまつわる簡単なスピーチをされました。國弘先生は東西の架け橋になること、そして世代間の架け橋になることにいつもご尽力されていたようでした。また、人と人との関係を上下のそれではなく、水平的で平等なものとして、それを実践されていたことが伝わってまいりました。

私自身、大学時代は國弘先生の講義を受講し、帰ってはNHKの先生の語学番組と格闘したりしておりました。そうしたことをしながら英語と取り組んでいた時代は遠い過去のものであり、時間は確実に経過したということをあらためて実感いたしました。

会場を後にして六本木駅に向かう帰途、英語の学習という果てしない道を、またあらたな気持ちで歩んでいきたい思ったことでした。

(追伸:最近YouTubeに先生のインタビュー番組がアップされておりました。)

by friendlyundertaker (2015-04-07 21:50) 

tempus fugit

friendlyundertaker様、「偲ぶ会」のお話しありがとうございました。國弘先生にまつわるさまざまな方々のスピーチ、私も聞きたかったです。参加できなかったのが何とも残念です。

また、YouTubeにインタビュー番組がアップされているとの情報、どうもありがとうございます。このあとさっそく調べてみたいと思います。こうした形で、先生の過去の足跡に触れることができる機会がもっと増えればうれしいなと考えました。
by tempus fugit (2015-04-08 01:02) 

英語学習者

こんばんは。
ここでのコメントを読ませていただいて、國広氏に対して私と似たような体験をした方、思いを抱いている方がいらっしゃることを、嬉しく思いました。
久しぶりにこのブログを訪問させていただいたので、「偲ぶ会」があったこと、そして今Youtubeにアップされた日系米人とのトークショーを聞きながら書いていますが、なつかしい國広氏の英語を耳にする機会が得られるようになったことを知り、大変嬉しく思います。
by 英語学習者 (2015-04-11 00:07) 

ベルギー産のチョコレート

はじめまして
國広先生がご逝去されたとのニュースを貴殿のブログで知ることになり
愕然と致しました。
暫くご無沙汰しておりましたが虫の知らせなのか?ふと先生が浮かび
事実を知った次第です

先生との思い出は走馬燈のように蘇って参りますが厳しくもあり
お茶目でもあり、口癖であった「俺もう○○歳だよ~」とか何度お願い
しても携帯を持っていただけないなど・・・苦笑
先生とは4年前の国際文化会館での新年のご挨拶が最後だったと
思います。

後日、雅彦様からお葉書を頂き先日先生に挨拶に伺いました
こんな形の再会は複雑な胸中でしたが語りかけるようにご冥福を
祈りました

取り急ぎとなりますがお礼を申し上げます。

by ベルギー産のチョコレート (2015-10-03 05:08) 

tempus fugit

ベルギー産のチョコレートさま、國弘先生と近しかった方からのコメントをいただき光栄です。先生についてのお話しをさらに伺えることができましたらうれしく思います。
by tempus fugit (2015-10-03 21:48) 

大井孝

尊敬する偉大な先輩、國弘先生を偲ぶ三回の勉強会を四谷の日米会話学院で企画主催したものです。ご参加下さった皆様、有難うございました。
by 大井孝 (2015-10-21 20:36) 

tempus fugit

大井様、すみませんがここは掲示板ではありません。
私も國弘先生を尊敬するが故に今回は掲載しましたが、方便であっても結構ですので、ブログ本文についてもコメントをいただきたかったと思いました。
國弘先生も、礼儀について非常に厳しい方だったと記憶しております。
by tempus fugit (2015-10-26 11:26) 

林

はじめまして。「國弘英語」で検索していてこちらに辿り着きました。國弘先生には公私ともにお世話になりました。今でもお元気でいらっしゃってくださったらいいのに、と、悲しいというよりも残念な気持ちが完全に拭い去れずにいます。

先日、同時通訳者の若い友人と食事しましたが、その方は國弘先生の通訳を聞いて、日本語も英語も、國弘先生から発せられる言葉すべてを学び取って少しでも國弘先生の通訳に近づきたい、とおっしゃっていました。私も同感です(しかし國弘英語に辿り着くには長くて険しい道がまだまだ続きます)。
by (2016-06-01 23:03) 

tempus fugit

林さん、コメントありがとうございました。お知り合いのお話し、故人となられても(もう1年半も経ってしまったのですね)、いまも影響を若い世代に与えているということで、先生の存在の大きさにあらためて感じ入りました。よろしければ先生のお話しをさらにお聞かせください。

by tempus fugit (2016-06-01 23:37) 

先生の記憶に寄せて

滑稽なほど生真面目な…というのはたぶん、國弘先生のことなのだろう。宇都宮軍縮研究室などを介したり、あるいは上智関連のセミナーなどでときどき顔を会わせた記憶が…。思えば宇都宮の御大もある意味同じような人物であったが(金大中を日本に戻せ!原状復帰とはKCIAが彼を安全に「入管を通さずに」パレスホテルの宿泊した部屋に戻すことなのだ!」、一見無理なことを平気で「これが筋だ!」と…)。國弘先生はまた、あの時代の教養人独特の漢文の素養を漂わせた人でもあった。その影響で中江丑吉に触れ、今もその片鱗を学んでいる。国際文化会館での偲ぶ会や納骨、通夜などに顔を出し、何人かの友人と故人の「沖縄への思い入れ」を語りあった。いま、沖縄で基地協定の見直しが求められているのを想うと、改めて故人の先見性に眼を開かれるような…偲ぶ会の帰り道、ちょいと寄り道して兄弟子らと宇都宮先生の墓前をたずねた。私は同時代にほんの少し謦咳に接したこのふたりの記憶を少しでも次の世代に伝えようと思う。
by 先生の記憶に寄せて (2016-06-20 10:47) 

tempus fugit

コメントありがとうございました。先生の思い出についてぜひ教えていただければと思います。

by tempus fugit (2016-06-20 21:28) 

短矩亭 Pandak

沖縄の慰霊の日を迎えるにあたって…先生の沖縄への情熱をあらためて思い起こしています。小選挙区制の可否をめぐって社会党を事実上追い出され(それでも先生は軍縮研でも「三木先生んとこで雑巾がけしてたあたしは生粋の保守だ、その立場は変わらない。世間が変わっただけだ」と公言してましたね)、田先生らと臨んだ参院選で第一声はぜひ沖縄で、とおっしゃり、宇井純先生のお弟子さんらがその実現に奔走しました。永六輔さんも元気なころは毎月、沖縄じゃんじゃんに登場していましたが、本土との引き裂かれた想いをより戻すのは自分の役目なのだ、と常に琉球に熱い思いを…私どもと「沖縄独立、何が必要か」などと(鍵となるべき年金財政を求めて)豪州の事例などを調べていた記憶もあります。今は沖縄にあのような情熱を傾ける本土の政治家など…皆無ですね。口惜しいことです。
by 短矩亭 Pandak (2016-06-21 10:02) 

tempus fugit

國弘先生と沖縄のつながりについては不案内でしたので、貴重なコメントありがとうございました。
by tempus fugit (2016-06-22 00:30) 

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